試されし道 ◇闘の頃◇

この日も、兄はいつものように研究室で新規商品の開発と、既存商品の改良と両方の仕事に追われていた。
突然、研究室の扉が勢い良く開かれバタバタと騒がしい足音が、顕微鏡を覗く兄の背後に近づいて来た。
妹にしては珍しく一言も騒がないんだなと思い「今度はどうだった?」とゆっくり振り返る。
そこには妹ではなく、同僚の眼鏡男が立っていた。
が、いつもの冷静な姿からは想像も付かない程、ハァハァと息を切らし、言いたい事が声として出ない程に取り乱していた。
「なっ?!どうした?何かあったのか?」
勢い良く立ち上がったせいで、座っていた椅子が倒れた。
眼鏡男は、兄を目の前にして何か言葉を選んでいるようだったが、意を決した眼鏡男は深く深呼吸をした。
「い、いいか、よく聞いてくれっ。君の妹は今日、デュラガウアの依頼を受けたようだ」
「ほ、本当なのか?そうか…」
もはや決まっている結果を聞くまでも無く、兄は複雑な思いに深い溜息を吐きながら床へ視線を落とした。
「続きがまだある」
(?!)
「撃退はしたものの、君の妹はその場で命を落としたそうだ」
(…撃退…撃退した…撃退した……その後、何て言った?は、ははっ、何て言ったのか聞こえなかったよ…)
兄は焦点が定まらない目で床を見つめたままだった。
「おいっ!気をしっかり持つんだ」
眼鏡男が兄の両肩を激しく揺さ振る。
「…ははっ、妹が何だって?ちょっと掠り傷ができただけなんだろう?なあ?!そうだろう?!そうだと言ってくれよーーーっ!!」
兄は叫びながら床へと崩れ落ちていった。
妹の葬儀を終え、数日が経ち少しの平静を取り戻した兄は、妹が亡くなった時の様子を同僚の眼鏡男へ尋ねた。
眼鏡男が聞き得た話では、あの日、妹は一人で依頼を受注した事、そしてそれに妹を慕う後輩達三人組がこっそり付いて行った事、後輩達が高台からこっそりと様子を伺うと、最初、妹とデュラガウアは何やら話をしていた事、やがて闘いが始まったが妹が優勢だったこと、その闘いぶりに魅入ってしまった後輩達の内一人がギアノスに襲われ、闘いの場へと落ちた事だった。
それ以上は、眼鏡男がいくら後輩達に詰め寄っても、余程怖い思いをしたのか、後輩達は皆口をつぐんでしまい分からずじまいだった。
「後輩達からはかなり慕われていたようだったよ。恐らく妹さんは後輩達を庇ったんじゃないだろうか」
何故、妹は一人でアイツの所へ行ったのか?
そして何を話していたのか?
兄は浮かび上がる疑問を確かめるべく、もう二度と会うはずのなかったデュラガウアのいる塔へ向かう事を決意した。
『妹の仇でも討ちに来たか?』
久々に会ったデュラガウアの第一声に、兄は一瞬口をギュッと結んだがすぐにそれを解いた。
デュラガウアは、口調こそ以前と何ら変わりはなかったが、その体は妹が残していったのか、角は折れ、爪は削られ、尾は裂け、あちらこちらに焼けただれた傷が無数あり、見るに耐えない姿だった。
「いや、違うんだ。少し聞きたい事があって…ここに来たんだ」
『ほほう、また“道”にでも迷うたか?』
「いや、そうじゃない。妹は一人でここに来たそうだな?一体何の話をしたんだ?」
兄は、疑問をデュラガウアにぶつけた。
『それぞれの道が違うように、意もまたそれぞれというところだ』
デュラガウアは、けだるそうに横たわっていた体を起こし、兄の正面を向いた。
以前の道に迷う兄とは違い、そこには選択した道を突き進む男の顔があった。
『まあ、いいだろう。ヌシの妹の意とやらを教えてやろう』
デュラガウアは、あの日の出来事を語りだした。
あの恐怖に怯えた面影はどこにも無く、ある種の決意を目に宿した妹がデュラガウアの元へ単身で現れた。
「今日はあなたを討伐しに来ました」
『ほほう、こちらとしては感謝されこそすれ、敵意を向けられる覚えは無いのだがな』
「…確かに兄はあなたに感謝してると思います。でも私は違うっ!!」
妹はあの時、気を失っていたのはほんの一時で、兄とデュラガウアの会話を聞いていたのだった。
「私は、頭が良くていつでも優しく、何でも教えてくれた兄を尊敬し、少しでも足手纏いにならないよう、自分なりに頑張ってきた。でも、そんな自分が兄を傷つけていたなんて知らなかった…兄に疎まれる程に…」
妹は言葉を詰まらせたが、小さく息を吸い込むと話を続けた。
「兄はあの日から剣を降ろして違う道へ進んだ。でも私にはこの剣しか道がなかった…。いつか誰かがあなたを討伐しなくてはならない日がくるのも分かっていた。そしてあなたを私が…兄がくれたこの剣で討伐することで、やっと私は兄に認めてもらえることになる」
『ほほう、こちらはヌシの意の矛先になったわけだ。それにしては随分と来るのが遅かったようだがな』
「私はこの剣を極限まで強化したらあなたの元へ行こうと決めていた。それが私の決めた道!!」
妹は剣を背中の鞘から取出し、構えた。
妹が握るその剣は、確かにあの時の剣だった。
『では、こちらとしても全力でいかせてもらおう』
「そうしてもらえると私も助かります」
妹はデュラガウアに飛び掛かった。
闘いは互角だった。
が、徐々にデュラガウアの方が劣勢を強いられていた。
『くっ、小娘がっ!!』
デュラガウアは耳をつんざくような大きな咆哮をあげると、体を氷点下までに温度を下げ、その体は霜で覆われ全身が白く変化した。
それでもデュラガウアの劣勢は逆転しなかった。
デュラガウアは、自分の息が荒くなるのを感じていた。
(あの小娘もここまで成長を遂げたか…)
とその時、上から誰かが落ちてきた。
デュラガウアは最初、妹の仲間が援護に駆け付けたのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
妹が慌ててソレに走り急ぎ、邪魔にならない所でじっとしてろと言う。
邪魔が入ったものの、闘いは続行された。
強靱な前脚で繰り出される攻撃を妹はくるりと回避すると、デュラガウアの隙を見付けては切り付ける。
このままではおのずと勝敗は目に見えていた
デュラガウアの視界に、上から落ちてきた未熟なハンターである後輩の姿が入ってきた。
ここは一度妹の気を逸らして態勢を立て直そうとしたデュラガウアは、その後輩へと攻撃をしかけた。
妹は後輩を庇いに急ぐが、攻撃を防ぐ為の盾等持ち合わせてなく、その双剣ではデュラガウアの攻撃を防ぐ事はできなかった。
後輩の代わりに傷を負った妹。
『せめてその剣がヌシの兄のような大剣だったらな』
今までの妹は、守りを捨て、攻撃のみに集中してきた。
が、今この状況で後輩を庇いながら闘うのは正直分が悪いのも分かっていた。
「くっ!!私はそういう主義じゃないのっ」
無理に作った笑顔も傷の深さに少し歪む。
妹は、後ろで歯をガチガチと震わせる後輩をちらっと見ると「大丈夫、すぐ終わるから」と声を掛け、すぐにデュラガウアの方へと向き合った。
この立ち位置では、デュラガウアの攻撃を避けると後ろの後輩へその攻撃が当たってしまう。
かと言って左右に誘導しようにも、誘導に乗ってこなかったら意味も無い。
一気に追い詰められた妹は、一か八か、攻撃を避けずに正面からデュラガウアへと向かった。
切り掛かる妹、同時に攻撃をしかけるデュラガウア。
妹の剣とデュラガウアの前脚、リーチの差によって妹はその場に倒れた。
『その剣で後悔したであろう?』
「…いいえ、私は後悔なんてしない…この剣は…私そのもの…だ…か…ら……」
妹は目を閉じた。
その最後の笑顔は、痛みや後悔では歪んでいなかった。
『ふん…興が冷めた』
デュラガウアはその場から去っていった。
『…こんなところだ』
黙って話を聞いていた兄は、降ろしていた両腕の握り締めた拳は小刻みに震え、その目からはポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちていた。
『よそ者に仕掛けたこちらも正当ではなかったが、如何せん我が身も大事でな』
「…いや、いいんだ、…オレは…オレも自分の事で精一杯で、マリーの気持ちなんて考えた事も無かったんだ。今ここで、…遅かったけどマリーの気持ちがやっと分かって良かったと思ってる」
『…そうか、それはこちらの荷も少しは軽くというものだな』
しばらくの静寂があった。
『では少し一人にしてもらえると有り難いのだが…何、少々眠りを取りたいのでな』
「…あ、ああ、分かったよ…もうお前の邪魔はしないさ」
兄は「おやすみ」と、最後の挨拶をして帰って行った。